『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』稽古中

投稿者: | 2018年8月8日

演劇をやっている。
といっても役者ではなく、台本を書いて演出をしている。どうせ演劇に関わるなら、他の役割よりも作と演出が格段に楽しい。
そんなわけで、基本的には30歳過ぎてからは、ずっと自作の台本を上演しているし、自分以外の作家が書いた戯曲は、読みはするものの、立ち上げてみた回数はとても少ない。

9月に清水邦夫の『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』を上演すべく稽古しているのだけれど、演出だけを考えているといろいろと発見がある。

場所は、チェーホフの『かもめ』が上演されている劇場の、ニーナ役をやっている女優の楽屋。一幕一場のシンプルな作品だ。
登場するのはその楽屋に居る、女優たちなのだけれど、この中で実際にそれなりの大きな役について舞台で演じた経験のある女優というのは、このニーナを演じているという設定の女優、役名で言えば女優Cだけだ。
そして、女優C付きのプロンプターで、健康を害して入院していた女優Dも、ずっと楽屋に居る女優Aも女優Bも、役名こそ「女優」となっているが、実際にはプロンプターだったりほんのチョイ役の経験しか無かったりと、実はまともな女優ではない。

演劇をやっていると、役者がなんとなく字面の雰囲気でニュアンスを考えてそのまま読んでしまうことがある。
女優Cも、久しぶりに帰ってきた自分付きのプロンプターの筈の女優Dに、ニーナの役をよこせと言われて、まともに請け合って怒りを感じる演技をしてしまうし、なんとなくそれが妥当な様にも見える。
今回参加してくれる四人の女優達と、結構な期間役を固定せずに、ひたすら演じる役の組み合わせを変えて、台本を持ってはいるものの、いろいろ動いてみる稽古を繰り返していたが、どうしても、自分より確実に格下の相手に、普通に苛ついて怒りをあらわにするという女優Cの感情の流れが、あまりに取ってつけた様で、どうもしっくりこなかった。

『かもめ』のニーナは、最終的には地方周りの女優として、どちらかといえばかなり不遇な状態の中を、女優として生きていく。そ『かもめ』第四幕のニーナはむしろ女優Cよりも、役をよこせと言っている病み上がりの女優Dの姿に同期する。
地方周りという点では女優Aも、巡業の記憶を物語るシーンがあるが、役としては大きいとしても、ひとつの女優像とし考えた場合、ニーナは成功した女優ではない。

女優として勝ち得ているものという視点で、『楽屋』の四人の女優にニーナを混ぜて考えると、女優C>ニーナ>女優A≧女優B、女優Dという風な、格差を読み取ることができる。『かもめ』ではニーナが女優として成功しておらず、むしろ身持ちを崩している様に見て取れるセリフもあるが、少なくとも何らかの大きな役を引き受けたりはしているため、女優A以下のプロンプターではなく、間違いなく女優だ。
そして、女優Cとニーナだけが、舞台となっている場所から違う場所に去っていける。つまり状態はどうであれ、明確に次の違う物語を持っている。
女優A、女優Bは、他に行くところもなく楽屋におり、女優Dは、健康を回復して自ら楽屋に舞い戻ってくる。

この舞い戻ってきた女優Dがまさに、女優になり身持ちを崩して再登場するニーナと同期すると読めば、女優Cが女優Dと同じレベルに立ち、役を奪おうとする自分のプロンプターに対して、感情をあらわにする必要はないだろう。そんなアプローチを考えてみた。

劇中に「永遠の役」というセリフがある。果たしてそれを「ニーナ」と据えることがどんな意味を持ち、どの様な会話となるべきかも、これを手掛かりに類推していくと、より長いスパンで女優A、女優Bの二人の意識の流れを見出すこともできる。少なくとも二人は、相当な長い時間、楽屋に居てただの手順を繰り返している。普通の探りあいの時間はとうに終わっている筈だ。

まだ他にも台本を模索中に発見できた妥当さはあって、試行錯誤は続いている。本番まで、もう暫く稽古の時間はある。

『楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~』
作:清水邦夫
演出:仲悟志
出演:長澤泰子、中易百恵(フリー)、澤井ネネ(フリー)、尾島実和
場所:富山県民小劇場オルビス

日時:9/8(土)、9/9(日)両日ともに
13時〜/16時〜
料金:1,000円

※半券お持ちの方リピート割引あり(500円)
※入れ替え制にて、『真昼の藪』という作品も上演します。
※開場は開演の30分前



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です