本当に、そうこうしているうちに滅びそうな気がした

投稿者: | 2018年3月28日

昨日の取材先の農業法人と、別件の野暮用で行った廃業済みの民宿で、本当に偶然会った、リヤイヤ済みの「跡取り」の爺さんの話しを反芻している。
人手がないため、農地は放棄されていき、人ではなく、今まで居なかったイノシシがはびこりだす。
観光振興はずっと気にかけられているトピックだが、氷見の民宿はピーク時の半数以下になっている。

変化に追従して生き残らないからそうなるという見方は、状況の一面だけを捉えたものに過ぎない。変化への追従の結果、より純粋に金だけを回す方法を模索して、人が居なくなることに対応しようとした流れの先も、いい加減見え始めているのではないだろうか。

根源的な何かが否定されていたり、否定したりしている歪さの結果が現在の状況なら、これまで良しとされされていたもの優先度、重要さが本当に高かったのか、かなり疑わしい。
ここで出てくる、やはり金に着目しての「さりながら」「しかしながら」がどの程度の永続性を持っていたのかというと、こうして徐々に絶えていく程度だったという結果が見えているのだから、これは駄目だったということで、次を考えるべきではないだろうか。


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