TEDxHimi勉強会のお知らせ

投稿者: | 2017年6月27日

継続してTEDxHimiの準備はしている。
前回カンファレンスの準備だけな割に、なにかと物足りない思いをした反省を活かし、自分のことでクソ忙しいけれど、TEDxHimiの活動も真面目にできないかと考えている。なかなか追いつかないのは事実だけれども、なんとかペースを掴んでいきたい。

7月1日のこの勉強会を皮切りに、金属と我々の暮らしの関わりについて、アクティビティをやっていけないかと考えている。

氷見でTEDxをやるということは、氷見界隈を本拠地にしてTEDの理念を通じて地元のコミュニティを刺激するということでもある。
地元のコミュニティを刺激とは、そもそもなんだろうか。
年に一回カンファレンスをやれば任務完了?
それではおそらく「TED?ああ、あのエッチなクマね。面白いよね」と、永遠にそんな風にお茶を濁されることと思う。

ちょっと頭をひねって考えてみた。
氷見も田舎なので、当然「地域おこし」「まちおこし」というお題目をよく見かける。
だが、おこすもなにも地元民なので、どの程度満足かは別にして、氷見は自分にとっては既に、とても暮らしやすい場所になっている。概ね文句はない。

だが、自分の「暮らしやすさ」の感覚の多くは「消費しやすさ」の感覚で。そうなると、ひょっとして、消費することでだけでしか社会に参加していないのではないか。
どうも、そういうことに至る。

TEDxHimi2016に登壇していただいた城端蒔絵の小原さんにインタビューした時に、iPhoneがモデルチェンジしてし、自己紹介のネタ用に仕事の合間に遊びで作った漆塗りのiPhoneケースが使えなくなる。最新技術の製品の寿命は短いが、このケースは手入れし続ければずっと使える。と、そんな印象深い話しを伺った。
このサイクルの違いに、消費から離れられない社会構造の一端を見て取れないだろうか。

だとしたら、自分が生きていく範囲で感じられる「社会」というのは、一体どういう構造や規模で動いているのが適切だろう。そこが把握できれば、地元コミュニティを刺激するための指針が得られるのではないだろうか。

我々は、何がやめられなくてこんな社会を形成するに至ったのだろう。
人口は減っていく、仕事が無い人が居るかと思えば、人手が足りない場所もある。
ものづくりは終わったのか、ものづくりは終わっていないのか。
伝統は守られるべきなのか、不要になった技術は廃れて消えるのが自然なのか。
例えばひとりの知識として、例えばコミュニティの単位で、何を知ること、何を継承していくことが最適だろう。

氷見で暮らすということで、そのルーツを遡ってみたところ縄文にまで至ることがわかった。
今が複雑ならば、過去に遡ってみればいい。
人が手に入れた技術の中でも大きな要である「金属との関わり」を例に取って、私たちが今居る場所を確認し、自分たちの認識や知識の再確認をしてみるのはどうだろうか。
「知る」「やってみる」は考えてみることの確実な手がかりになる筈だ。

限定30席。Peatixにも申し込みページを作ったので、お気軽にどうぞ。
http://peatix.com/event/278441/


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