『テーオバルトの騎士道入門』と『マックスのどろぼう修行』

投稿者: | 2017年12月12日

『テーオバルトの騎士道入門』を入手したのがいつだったかは忘れてしまったが、子供達に何度読み聞かせたか寝る前の読み聞かせで5周ぐらいはした様に思う。
なにせ、途中で眠ってしまうし、行きつ戻りつしてのことだから、読み始めれば2ヶ月ほどかかってしまう。

十字軍で父を失った男爵家の跡取り息子テーオバルト、祖父の老男爵が高齢で、そろそろ引退をと考えているのだが、15歳のテーオバルトは妙に真面目なところがあり、愛読する『騎士道入門』という本に、『蟹座生まれの騎士たる者は、竜のなみだを手に入れぬかぎり、一人前とはいえぬ。』と書かれていることを真に受けて、爵位を継ぐからには、一人前の騎士になっていなければならないということで、竜のなみだを手にいれるための武者修行の旅に出る。そんな話しだ。
紆余曲折の結果、テーオバルトは本物の竜のなみだを二つ手にいれるが、その涙と、そっくりの水晶細工が混ざってしまい、どれが本物かわからなくなってしまう。
しかし、どれが本物か、問題は真贋ではない。『テーオバルト…』は、こう締めくくられている。 

〈結果として手に入れものより、そのために何をしたかの方がずっと大事なのだ。〉
『騎士道入門』の最後のページにも、そう書いてあるのだ。

竜などいるわけがないから、どうにかして武者修行をゴールに導き、テーオバルトが自分を一人前と考え、爵位を継ぐ様にと周囲はいろいろと奔走する。当のテーオバルトはちょっと融通の利かない真面目さはあるものの、極めて善良な少年だ。
『結果よりも、何をしたかが大事』というのは最後の文にもある中心の主題だが、そこからさらに、正しくあると同時に善良であれということも、作品全体から伝わってくるのではないかと思う。
テーオバルト自身の行動と『騎士道入門』をどう受け止め、どう行動しているかというところが、単に本に振り回されているだけではない様に思える。
書いてあることの解釈といえば、「このはしわたるべからず」などの頓知話しが思い浮かぶ。権力者に対する反抗の要素抜きでは、ただの悪知恵や小手先の屁理屈として記憶に残ってしまう部分で、子供達がなんとなく「偉い人」というのを仮定しづらくなっている今、何かを正しく行うには善良さもまた必要であるということは、なんとかして伝えていきたいところだ。

『マックスのどろぼう修行』は、時期的には『テーオバルト…』の後の話しになる、どろぼうとしては全くダメな盗賊団の長老の孫マックスが、一人前の泥棒になるための試練として一人旅をし、盗賊団の掟に従って〈それなりの手柄〉を立てて、つまりはそれなりの手柄として認められるものを盗むまで帰らない試練の旅が描かれている。
マックスもテーオバルトが『騎士道入門』を信じてそれを行動規範にしていた様に、マックスは盗賊団の掟に従っている。
『テーオバルト…』に登場した人物も再登場し、マックスはテーオバルトが手に入れた竜のなみだを狙ったりもするのだが、そこではまた、テーオバルトらしい理由でマックスの盗みは失敗する。
どろぼうが下手なのに、どろぼうになるために、どろぼうの掟に従って考え、行動するが、マックスには笛が上手いという特技があり、マックスの父も泥棒ではなく皇帝の音楽隊に入る人生もあるとマックスに示唆する。
選択肢はある。何を選ぶかは自分で決めなければならないが、そこに選ぶ理由はあるか。
『マックスのどろぼう修行』の方は、筋立ての紹介をしてしまうと面白みが減る気がする。再読も、自分で話しを追ってからの方が圧倒的に良い気のする作品だ。大人が読み聞かせの必要もなく自分のペースで読んでしまえるのであれば、『テーオバルト…』を読み、その記憶が鮮明なうちに一気に読んでしまうことをお勧めしたい。とにかく、なんともいえない滋味の作品で、最後まで読み聞かせて、さて、これを改めて子供にどう伝えられるだろうかと自問のタネになった。



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