まもなく開催される、朗読とギターの会のお二人、ギタリストの大橋さんと、朗読の長澤さんが朝のうちに来店し、本番のセッティングの確認、そのまま軽くリハーサルとなりました。
朗読を担当している長澤さんは、当店の反対側の内川Studioで3月から内川朗読教室を開講していて、朗読のコンセプトなどは聞いていましたが、実際にこれだけの時間、まとめて朗読を聞いたのは初めてで、大橋さんと長澤さんが、作品をどう読むのかの解釈を直前まで詰めながら、実際に解釈を朗読に反映させ、さらに演奏を合わせていく様子が、非常に刺激的でした。
読書は個人的な体験で、黙読すれば済むものを、敢えて声に出すことで、鑑賞をより深いものにするという、長澤さんの教室のコンセプトを実際に体験できた様に思います。
聴きながらまた、二人の読みの解釈と、自分は少し違うところに注目して、違う感じで考えるかなぁと思ってみたり、非常に楽しい時間を過ごさせてもらいました。
これも、長澤さんと大橋さんが、テキストをどう解釈し、どんな音楽を当てるか、どんな風に読むかの解像度が高いから起こる現象だと思います。
今回の朗読とギターの会『春の心臓』、今回は既に満席になっていますが、また折りを見て第二回を開催していただきたいと思います。
リハーサルの後、長澤さんと大橋さんが今回とは別件の曲の解釈について、楽譜を見ながら確認をしていたのですが、「解釈は理解できても違和感がある……」編曲の扱いについての検討もなかなか面白い光景でした。解釈したとして、どう扱うのか、そもそもそれは心地よく再現可能なのかなど、なかなか見られない検討の現場を目撃した様に思います。
また、長澤さんがホームページに掲載するための朗読用のテキストを探しているとのことで、需要があるかどうかはさておき、お店にあった池田弥三郎『魚津だより』をお薦めしました。
慶應大学を退官して魚津の洗足学園魚津短期大学の教授に就任した際のエッセイ。富山県の地元ネタ本ですね。もう40年以上前の本で、短期大学も2002年には廃止になっていますが、国文学者の軽妙で確かな運びのエッセイを長澤さんがどんな風に読むか、それを聞く日はくるのか。これも少し楽しみです。