いろいろと昔のことを思い出すことがあって、ふと考えた。
店主の高校生の頃といえば昭和末期。文化的な刺激を求める田舎の小僧にとって、情報源は雑誌で、そこから得られる情報といえば、音楽、文学、映画、演劇。
当時は何がサブカルだっただろう。今は下手をすると、読書自体がサブカルだと言う話も聞く。
昭和末期、アニメーションのファンは自分たちの市民権を得たいと考えていて、パソコン雑誌で「オタク」という言葉が使われ始めたころだった。
とにかく本がないとなにも始まらないので、高校生の頃の限られた小遣いをどうやって本に変えていくか、学校の図書室はさておき、図書館に行けば借りられるのか。金券屋では500円の図書券が450円で買えたので本屋に行く前には必ず金券屋に寄っていたし、古本屋は小遣いの範囲で買えない本を入手できるかもしれない貴重な場所だった。
ユリイカのバックナンバーや、国書刊行会や工作舎の本。古本屋でいろいろなものを入手したし、今でも手元にある本もある。とにかく、読んでみたい本があれば、買えるのか図書館にあるのか。そればかりだった。
そんなわけで、中高生の頃でいえば高岡も富山も金沢も、本屋と古本屋を中心にどこに何があるかを把握していた。これは、大人になってもそんなに変わらない様に思う。
内川も実際は完全に観光地ということでもない。普通に人が住んでいる住宅地なので、普通にこの場所を生活圏にしている普段は用事のない人の足が、なんでもなく内川に向く様になるだろうか。ただのなんでもない活動範囲に入るなんて実は至難の業だが、意外と行ったことのない地元の場所から、地元だしなんとなく知っている場所になることができればいい。
新湊高校には現在450人程の生徒が通っているらしい。一人ぐらいは文学かぶれはいないだろうか。文化的な刺激を受けた場所というのは、それなりに忘れられないし、自分のテリトリーだと思えるのではあるまいか。
読書がサブカルな時代に、文学かぶれは居ないかもしれないが、450人。ただいつか出ていくだけの若者や、出ていけないことを呪うだけの若者ばかりではないはず。